赤いだりあ。

思ったことそのまんま書くよ。

引越しは多く経験したほうじゃないかな

 

普通とか平均を知らないまま言うけど。

 

子ども時代にはなかった

 

人見知りだしひっそりしていたかったからそれはよかった

 

転校とか絶対に嫌だ

 

転校生には興味津々だったけれど。

 

まあ引越しっていうのは結婚して以後の話です。

 

今と違って遠距離の電話代がとてつもなく高かったし

 

やっぱり手紙をたくさん書きました

 

親や姉たち、友人、知人

 

自分で書いたメモや日記の類はほとんど捨てました

 

もうなにも未練のようなものはなくて

 

むしろ残ってあることがなにかたまらない気がして。

 

ですが

 

人の元にわたってしまったものは取り返せない

 

まだあるのかなあ

 

そう思うのがほんとうにいや

 

嘘や飾りで書いてない

 

ほんとうのことしか

 

それがなんのなぐさめにもならない

 

どうか捨ててしまっていて

 

そう思う

 

一番たくさん書いた相手はたぶん家族(今一緒にいる人)

 

引越しのどさくさにまぎれて捨てました

 

もう残ってない

 

よかった

 

家族はとっておくタイプの人なので

 

ずいぶん文句を言われました

 

知るもんか、と思う

 

とっておいて、なんて頼まれてないし。

 

手紙書くこと嫌いじゃないですよ

 

書こうと思ったらずっと書いていられる

 

書くことなんか無尽蔵って感じにあるし。

 

捨てずに取っておくことから生まれる幸福感に酔っていた時期だってある。

 

なんだろうなあ、この変わりようって…

 

両親は書く人たちでした

 

父は地方新聞の投稿欄の常連だったし

 

母も文章教室(通信の)とか、短歌とか

 

そして二人とも日記書くのが長年の習慣で

 

母なんて、日記の下書きまでしていた

 

旅行中も必ず書いた

 

先日部屋の整理をしていて

 

母と義理母からきた大量の手紙が出てきて

 

見た瞬間にどっと気が重くなった

 

自分でさえそうならば

 

自分の死後誰か(子どもあるいは親族の誰か)がこれを見つけたら

 

読むのはかまわないが処分についてもしかしたら心を痛めるかも

 

…みたいなことを思ったんですよね

 

なので

 

自分が処分しよう

 

今できるうちに

 

そう思ったのです。

 

だからあれは今至った心境です。

 

呪詛っていうふうな言葉を使ったのは

 

手紙って一応体裁を保ったものだから

 

その手紙が書かれた頃の差出人のなまの感じを自分は思い出として持っていて

 

その姿と手紙に書かれた文章の端正さの間にあるギャップみたいなものが

 

喉をするっと落ちていかない違和感のある食べ物みたいにちょっと感じた、

 

っていうのがありました。